【WML×MLC連動連載企画】『トミー・リピューマのバラード  ジャズの粋を極めたプロデューサーの物語』より


マイケル・フランクス『アート・オブ・ティー』

新刊『トミー・リピューマのバラード  ジャズの粋を極めたプロデューサーの物語』より

3月29日に発売になった新刊『トミー・リピューマのバラード  ジャズの粋を極めたプロデューサーの物語』は、1960年代からブルー・サム〜A&M〜ワーナーなどで数多くの名盤を手がけたプロデューサー、トミー・リピューマの評伝です。著者は自らもオルガン/キーボード・プレイヤーとしてジャズ/ポピュラー音楽界で著名なベン・シドラン。すでに複数の著作も上梓している作家としての横顔も持つ彼が、トミー・リピューマの人物像を軸に、音楽業界の裏側や名盤の舞台裏を包み隠さず描いた一冊です。

 『トミー・リピューマのバラード』は、50年来の親友への私からのラヴ・レターです。家族のように、ともに素晴らしい時代を過ごしました。“バラード”としたのは、彼の人生は、私が歌うべき歌だから。そして今それを届けることができてうれしく思います。皆さんはここで、音楽やレコード・プロデュースにまつわるさまざまな現実を知ることでしょう。しかし、この歌(本書)の中心は、トミーという男の気持ちにほかならないのです。

ーベン・シドラン



そして本連載は、短期集中で毎回アーティスト/作品単位でのテーマを取り上げ、同書からそれにまつわる部分をご紹介していこうというもの。同時に、トミー・リピューマが多くの作品を残したワーナーミュージックのウェブサイト「ワーナーミュージックライフ」(WML)とミュージック・ライフ・クラブ(MLC)と連動した連載として別々のテーマを取り上げ、双方で同時に展開。両方同時に読むことで倍楽しめる!ことを目指しました。ぜひ取り上げたアーティストの作品を聴きながらお楽しみください。そして第2回はジョージ・ベンソン『ブリージン』を予定しています。

MLCでの第1回・フィル・スペクター “サウンドの壁” はこちら。



1974年、トミー・リピューマはレコード業界で着実にキャリアを築いて来ましたが、自らが設立したブルーサムが破綻すると、ワーナー・ブラザーズのA&Rとして働いていたレニー・ワロンカーに招かれ同社に入社することになります。同僚にはレニーの他にラス・タイトルマン、テッド・テンプルマンといった辣腕A&R/プロデューサーも在籍していました。そして「トミーはレニーに、これからのプロデュース作品にはもっとジャズの要素を活かしていきたい」と話を切り出します。自分がジャズとは切っても切れない関係にあることも──。


マイケル・フランクス 『アート・オブ・ティー』

シティ感覚溢れるクールでジャジーなポップ・ミュージック。しゃれたセンスときらめく知性。AORの元祖、マイケル・フランクスのデビュー作品。当時50万枚以上を売り上げたという。参加ミュージシャン:クルセイダーズ、デイヴィッド・サンボーン他、トミー・リピューマ・プロデュース。1975年作品。


以下、『トミー・リピューマのバラード ジャズの粋を極めたプロデューサーの物語』より引用。

そんな矢先、トミーはマイケル・フランクスを見つけた。トミーの手元に、レコード産業に参入したがっていたとある香水会社のためにマイケルが制作したレコードが届いた。それはレコードとしては秀でたものではなかったが、曲はユニークで、マイケルの歌い方にはジャズとポップス両方の要素が含まれていた。自然な成り行きの予感があった。

ふたりはトミーの家で会った。マイケルはギターを弾きながら、のちに多くの人に親しまれるようになる「ポプシクル・トーズ」と「モンキー・シー・モンキー・ドゥ」等数曲を歌って聞かせた。


「話していると、彼は自身の内なる世界にどっぷりつかっているようだった」トミーが言う。「彼のアルバム・タイトル『アート・オブ・ティー』が表すように、彼は茶道の世界にも興味を抱いていた。また、幻覚剤に興味を持つ女性と付き合っていたんだ。アルバムの構想としては、こぢんまりとして親密な感じで、ワーナーもそれほど経費をかける必要がなかったので、僕は躊躇せずすぐに彼と契約を交わしたよ」


ジャズ・ミュージシャンの中にはポップ・ミュージックのシンプルな良さを理解できない者もいるし、逆に多くのポップ・ミュージシャンは──と言うよりおそらくほとんどのポップ・ミュージシャンは──ジャズの奥深いニュアンスを理解できない。このマイケル・フランクスのプロジェクトでは、ミュージシャン選びがトミーにとって重要な第一歩だった。幸いにもトミーは、ポップ・ミュージックのシンプルではっきりとしたイメージがあると同時に、洗練されたグルーヴ・ジャズの先駆者であるクルセイダーズのメンバーを知っており、仕事もしていた。


「僕にとっては」とトミー。「どのジャンルだろうと、肝心なのはリズム・セクションだ。適切なリズム・セクションさえ確保していれば大体まともなアルバムが出来上がる」。


『アート・オブ・ティー』にはピアノにジョー・サンプル、ベースにウィルトン・フェルダー、そしてギターにはラリー・カールトンを起用していた。3人ともクルセイダーズのメンバーであり、タイトで経験豊かなリズム・セクションだ。そしてもうひとり、ジャズ・コンセプトをシンプルなグルーヴに仕上げることを心得ていたジョン・ゲランをドラムスに選んだ(ジョンは当時ジョニ・ミッチェルと結婚しており、事実、ジョンが彼女にジャズの手解きをした結果、彼女は自分の音楽を新たな次元に進めるようになった)。というわけで、トミーが〝キャスティング〟と称していたメンバー選びが、ここでもまた重要な要素となっていた。サウンドとエモーショナルな感触は、スタジオに入る前から確立されていたのだ。『アート・オブ・ティー』が発売されると、話題となるまで1、2か月かかったが、フィラデルフィアで「ポプシクル・トーズ」がブレイクした結果、6か月もすると20万枚を売り上げ、最終的にはゴールド・アルバムを記録した。以降、ワーナー内ではトミーのコンセプトだったジャズとポップとの融合に関しては、もう誰も疑問視する者はいなかった。「自分の目指す方向性についてレニーに言ったことが何であれ、僕の前ではその話題は二度と出なかった」。ワーナー・ブラザーズ周辺ではにわかに、「リピューマが何かやり出しそうだぞ」という空気が流れ始めた。そんな折も折、ボブ・クラズナウがジョージ・ベンソンを連れて来た。


第2回はジョージ・ベンソン『ブリージン』を予定しています。


©️ Koh Hasebe / ML Images / Shinko Music

マイケル・フランクス、1977年9月初来日。この滞在時に彼は日本で挙式し、結婚した


AOR、シティ・ミュージックの先駆者である今は亡き名プロデューサー、トミー・リピューマ。貴重な写真の数々を掲載したブックレットを収録した、音楽の自叙伝ともいえるCD3枚組45曲収録の楽曲集。

アメリカの音楽界だけでなく、日本のポップス・ミュージック・シーンにも多大な影響を与え、AOR、シティ・ミュージックの先駆者である今は亡き名プロデューサー、トミー・リピューマ。グラミー賞に33度ノミネートされ、5度受賞。彼のプロデュースしたアルバムは7,500万枚以上の売り上げを記録している。彼が携わったImperial, A&M, Blue Thumb, Warner Bros., A&M/Horizon, Elektra, GRP/Verveというすべてのレーベルから、彼が手掛けた代表的な楽曲を収録した、未亡人公認のオムニバスCD。ジョージ・ベンソン、マイケル・フランクス、マイルス・ディヴィス他アーティストの数々の名曲を収録。AORファン、フュージョン・ファン垂涎の貴重な写真を収録したブックレットが付いた、3枚組CD。

ブックレットには、マイルス・デイヴィス、マイケル・フランクス、ダイアナ・クラール、ドクター・ジョン、サンドパイパーズ、クロディーヌ・ロンジェ、ニック・デヵロ、アル・シュミットなどと撮影された、音楽史的に大変貴重な写真の数々を収録。


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