新・名盤探険隊 ブログ 3
帰ってきた名盤探険隊、売れています! ジーニー・グリーン新・名盤探険隊これが売れています!ジーニー・グリーン『マリー・コールド・ジーニー・グリーン』WPCR-14836ジーニー・グリーンと聞いてすぐにピーンと来る人はよっぽどの音楽通なはず。彼女は生涯(今のところ)このアルバム1枚出しただけである。だが多くのレコードで彼女の声を聴くことが出来る。シェール、ボズ・スキャッグス、そしてエルヴィスのレコードでバック・コーラスを務め、アメリカン・スタジオ(メンフィス)、FAME、マッスル・ショールズ(アラバマ)など伝説のスタジオでバック・コーラス隊の一員として活躍した。決して前面には出てはいないが彼女こそはダン・ペン、スプーナー・オールダム、ドン・ニックス、クイン・アイヴィなどと優れたレコードを作ったスワンプ、サザン・ロックのクイーンだった。
南部のトップ・コーラス隊。センターがジーニー・グリーン◎ライナーノーツ覗き見 知名度を別として、ゴスペル・ソウルを歌う白人女性ヴォーカリストのベスト3を挙げろと言われたら、まず迷うことなくこのジーニー・グリーン、トレイシー・ネルソンとボニー・ブラムレットの名を挙げると思う。70Sにゴスペル系バックアップ・シンガーとして数多くの名作に名を連ねながらも、たった1枚のソロ・アルバムを発表しただけで、姿を消してしまったものの、その強靭な歌声は本当に忘れ難いものがある。スワンプ、サザン・ロック・シーンに吹いた一陣の清冽な風、そんな存在がジーニー・グリーンだったような気がする。 そのジーニー・グリーンだが、そのキャリアはあまり知られていないようだが、実は想像以上に豊富なキャリアを誇っている。 ジーニー・グリーンは、本名メリー・エリザベス・ジョンソン、1943年2月6日、ミシシッピ州コリントス生まれ。ジニーは物心ついた頃から家の中で歌っていた程に歌好きで、真の意味で音楽に目覚めたのは11歳の頃だという。父はコリントス署勤務の警官で、母は出生届けと死亡届けの登記業務をしていたが、副業で牛のせり市に育てた牛をせりに掛けて売ったりして家計を助けていたというから、そんなに裕福な家庭環境ではなかったようだ。で、その音楽に目覚めるきっかけになったのは、人一倍歌うことが好きだったジニーのことを考えて両親が買ってくれた中古ピアノだった。そして半年間、女性教師の下で習うと、後は独学でマスターしたとか。勿論、日曜ともなれば、南部の伝統でもある教会のチャーチ・クワイアーで歌うという生活。 すでに13歳の頃にはピアノの弾き語りで、マリリン・モンローの「帰らざる河」、デューク・エリントンの「ムード・インディゴ」、ハンク・ウィリアムスの「ユア・チーティン・ハート」、オリジナルのゴスペル・ソング「マイ・ハート・イズ・ア・チャペル」など、お気に入りのレパートリーをリヴィングで披露していたという。増渕英紀氏によるライナーノーツより “新・名盤探険隊”のラインナップはここでhttp://wmg.jp/special/meiban/
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