帰ってきた名盤探険隊、第4弾本日発売 このタイトルが売れています。
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クラウディア・リニア『クラウディア・リニア』(WPCR-15115)
好評をいただいている新・名盤探険隊、本日発売の10枚には待望の世界初CD化タイトルが含まれています。その中でも注目はクラウディア・リニアです。彼女の名前を聞いてピンとくる方はそうとうのロック通です。リニアは70年代を代表する女性ソウル・シンガー。アイク・アンド・ティナ・ターナーのジ・アイケッツのメンバーとして活躍、後に英米のロック・バンドに重宝され数々のツアーやレコーディングにバックアップ・シンガーとして参加しました。デラニー&ボニーのフレンズ、リオン・ラッセルのシェルター・ピープル、ジョー・コッカーのマッド・ドッグス&イングリッシュ・メン他、ジョージ・ハリスンのバングラデシュ・コンサートにも呼ばれました。ザ・ローリング・ストーンズの「ブラウン・シュガー」、デイヴィッド・ボウイの「レイディ・グロウニング・ソウル」はリニアのことをモチーフにしているという説があります。「ものすごい迫力」
ライナーノーツ覗き見 そういった作品でゴスペル的な熱いコーラスを聴かせていたのは、“デルタ・レディ”とも言われた、リタ・クーリッジ、ローリング・ストーンズの「ギミー・シェルター」でミック・ジャガーとデュエットしたメリー・クレイトン、それから、後にブラック・ベリーズとしてハンブル・パイのバック・コーラスも担当することになるクライディ・キング、ヴェネッタ・フィールズといった女性たちであった。その中に、レイ・チャールズのバック・コーラス・グループ、レイレッツ出身者、あるいはアイク&ティナ・ターナーのやはりバック、アイケッツに在籍経験があるシンガーが複数含まれていたのも特徴的だった(メリー・クレイトン、クライディ・キング、ヴェネッタ・フィールズら。また、アイク&ティナ・ターナーのツアーで英国に渡った折、ミック・ジャガーの勧めで同地に残ってロ・シンガーとしてデビューしたP・P・アーノルドもアイケッツ出身者としては忘れられない一人だろう)。 このアルバム(原題は『Phew』Warner Brothers 0598/1973年リリース)の主役である、ロード・アイランド州出身の女性、クラウディア・リニアもそんなシンガーたちの一人であり、やはりアイケッツ出身だ。そしてジョー・コッカーの米国ツアー“マッド・ドッグス&イングリッシュ・メン”('70年)に参加し(映画『マッド・ドッグス&イングリッシュ・メン』の「レット・イット・ビー」熱唱シーンは必見!)、そこからリオン・ラッセルのシェルター・ピープルの一員としても活動、ドン・ニックスのアルバム(クラウディアが彼の妻だった、という説も日本では知られているが、今回裏が取れなかった)や、ジョージ・ハリスン主催の“コンサート・フォー・バングラ・デシュ”('71年)には、その流れで顔を出したのだと思われる。このように彼女はLAを拠点としたスワンプ・ロック・シーンの王道を歩いてきたシンガーとも言えるのだ。 しかし、彼女を有名にしたのは、それらとはまた別のエピソードであった。当時も複数のメディアで話題になったようだが、クラウディアはローリング・ストーンズの「ブラウン・シュガー」('71年)、デイヴィッド・ボウイの「薄笑いソウルの淑女(Lady Grinning Soul)」(『アラジン・セイン』収録曲、'73年)のモデルとされたのだ。 寺田正典によるライナーノーツより抜粋 “新・名盤探険隊”のラインナップはここでhttp://wmg.jp/special/meiban/
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