マドンナ、1985年の初来日時の模様を当時のマドンナ担当に訊いた。

マドンナが初めて日本に来たのは1985年1月。プロモーションのための来日だった。そのときの模様を当時ワーナー・パイオニア洋楽部でマドンナを担当していた田中敏明氏に訊いた。

ちなみに聞き手はその20年後に2度目のプロモーション来日を指揮したワーナーミュージック・ジャパンの宮治淳一。

■■■1985年といったらマドンナは本国アメリカではすでに大ブレイクしていたわけですよね?

田中:はい。で、1月のプロモーション来日時に、「Like A Virgin」はもちろん「Holiday」もシングル・チャートのトップテン・ヒットになっていました。「Like A Virgin」はマドンナ自身が東京に滞在している間にアメリカのシングル・チャートでNo.1になったんです。

■■■それはいい話ですよね。彼女は、日本にいる時に1位になるよ、という吉報を聞いたんですか。

田中:そうです。確か、僕から伝えたと思います。マネージャーのフレディ・デ・マンとマドンナ本人に。本人もすごく喜んでくれましたね。


■■■そりゃそうでしょう。ところで最初の来日時は、何人ぐらいで来たんですか? 僕は2005年のプロモーション来日で総勢48人っていうのを経験していますが(笑)。

田中:2人です。フレディ・デ・マン(マネージャー)とマドンナです。


■■■たったの!

田中:2人です。土曜日に来日して、すぐフジテレビで深夜にやっていた生番組『オールナイトフジ』に出たんですよ。


■■■着いたその日に! 考えられない!

田中:赤坂の某ホテルを予約していまして、ホテルにチェックインしてから、疲れているからもう外に出るのは嫌だと。なので、「シンディ・ローパーも出たんだから」と必死に説得したことを憶えています(笑)。あの頃はまだシンディ・ローパーがライバルみたいな感じだったんですよ。そんなこんなで無事、出てくれたわけです。


■■■歌ったということですか?

田中:歌いましたよ。「Like A Virgin」を生で。その後、月曜に宿泊先のホテルで記者会見を行なうことが決まっていたんですが、前日の日曜にホテルが気に入らないということになりまして…。それですぐに、虎ノ門の某ホテルを手配してチェンジしました。記者会見は、わざわざ別のホテルに移動してやったわけです(笑)。


■■■記者会見だけは宿泊してないホテルで(笑)。何が気に入らなかったんですかね?

田中:広すぎて人の往来が多くて落ち着かないということだったかと。


■■■そもそも記者会見をやったということは、その頃すでにかなりマドンナ旋風っていうのが?

田中:吹いてましたね。おかげさまで「Like A Virgin」が1位になりましたし。


■■■やっぱり、アーティストとしてのそもそものレベルが違うというか、本当にもう間違いなくスターになるんじゃないかっていう雰囲気はすでにあの1曲で漂っていましたからね。それで月曜に記者会見をやって、他のメディアにも出たんですか?

田中:「夜ヒット」(注:夜のヒットスタジオ)は出ましたね。確か『シオノギ』(注:ミュージック・フェア)にも。FM雑誌とか一般誌、音楽専門誌ももちろんやりましたし、ラジオ、新聞も。ただ、2媒体ほど、ちょっと機嫌を直すためにキャンセルということにはなりましたけれど、45分刻みのタイトな取材スケジュールをちゃんとこなしてくれましたね。


■■■私からすると信じられないような話ですね(笑)。



ちなみに本日8/16はマドンナの誕生日です。

Happy Birthday Madonna!



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