ドラマ「何曜日に生まれたの」主題歌、「バス・ストップ」の作者とその父親のお話

 いよいよ次回が最終回となった、ABCテレビ・テレビ朝日系全国ネットドラマ「何曜日に生まれたの」。「えー!」と思わず声が出てしまう衝撃の展開で、最終回がどうなるのか、とても楽しみです。

 さてこのドラマ、飯豊まりえさん演ずる黒目すいを中心に、いろいろな人間模様が描かれているわけですが、緊迫感のあるストーリ展開の中、唯一ホッとできるのが、黒目すいとその父、陣内孝則さん演ずる黒目丈治とのやり取りではないでしょうか。本当に娘がかわいくて大好きで、だけど必要以上に干渉しないで、娘の自主性を信じている、という感じの父親ですね(こっぴどくすいに怒られるシーンもありましたが)。


そんな父娘を見ていると、このドラマの主題歌「バス・ストップ」に共通しているところがあることに気がつきます。この曲を作ったのは後に10ccとして成功を収める、若き日のグレアム・グールドマンですが、実は曲の出だしは、彼のお父さんが考えたのだそうです。


 グレアムの父親、ハイメ・グールドマンもライターで、劇作家として活躍していました。ある時、グレアムがハイメに「バス・ストップ」というタイトルを思いついたと告げると、ハイメはすぐに冒頭の歌詞、「バス停、雨の日、彼女はそこに、僕は言った、傘に入りませんかと」の部分を思いついたのだそうです。するとグレアムの頭の中にメロディが浮かび、曲になったということです。特にBメロについては、全く苦労することなく突然ひらめいたそうで、2011年にMojo誌に語ったインタビューでこう語っています。『「バス・ストップ」の大半を書いたとき、実はバスの中でミドルエイト(Bメロ)をどうするか考えていたんだ。そうしたら「毎朝バス停に立つ彼女を見た~」からあとの全体が歌詞もメロディも一気に浮かんできて、家に帰って試すのが待ちきれなかったんだ。そういうことが起きると、本当にびっくりする。そんなことはめったにない。たいていは、だらだらとやるしかないんだ』。


当時19歳の駆け出しのライターを、熟練の作家がちょっとだけ手助けしたことで、この名曲がするすると降りてきたというわけです。しかも、ハイメがグレアムをサポートしたのはこの1曲だけではありません。ハーマンズ・ハーミッツの「No Milk Today」、「It's Nice to Be Out in the Morning」、10ccの「Art for Art's Sake」、ザ・ホリーズの「Look Through Any Window」など、クレジットまではされていないものの、父親の手助けもあって完成した楽曲は他にも多々あるようです。

このころの父親との創作活動を振り返って、グレアムはマンチェスターユナイテッドのインタビューでこんなことを語っています。「作曲はすべて僕だった。でも、歌詞の多くは父のものなんだ。父には本業があり、後に僕との仕事で印税を得ることになるけど、父が本当に情熱を注いでいたのは、(お金ではなく)歌詞を書いたり、物語を書いたり、世の中に関わることなら何でもすることだった。」


「バス・ストップ」のヒットから2年後、1968年に、グレアム・ゴールドマンは全曲自作曲による初のソロ・アルバム『The Graham Gouldman Thing』をリリースします。この中に「My Father」という曲があります。「父は、僕がこれから知ること以上のことを知っている/父は、僕がこれからも絶対に行かない場所に行ったことがある」と全面的なリスペクトを顕わにしたところで、自分の両足で、自分だけの世界へ向かうと歌っています。

実際、1968年を境に、グレアムは転機を迎えます。後に数々の傑作がレコーディングされることとなるストロベリー・スタジオに出資し、スタジオのハウス・バンドが発展し10ccが結成され、1972年にデビュー、1975年に名曲「アイム・ノット・イン・ラヴ」を産み落とすのです。

父ハイメは1991年に、他界します。そしてグレアムは10ccとして95年にリリースしたアルバム『ミラー・ミラー』で、「長い家路(Ready to Go Home)」という、重厚かつ美しい楽曲を発表しています。この曲は父親の死から4年たち、気持ちの整理ができたところで、死をポジティブに捉え、親子が一緒にやってきたことや、父が残した芸術的遺産の思い出を残そうとした、と後にグレアム自身が語っているそうです。

グレアム・ゴールドマンの、尊敬できる大きな存在の父親との関係、素晴らしいですね。 


ザ・ホリーズ「バス・ストップ」
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