プリンス『ピアノ&ア・マイクロフォン 1983』 リリース記念 リレー・インタビュー【専属エンジニア:スーザン・ロジャース】

今回はプリンスの専属エンジニアだった、スーザン・ロジャースのインタビューをお届けする。 なお、このインタビューは『ピアノ&ア・マイクロフォン 1983』のリリースが発表される前に収録されたものである。 


PHOTO CREDIT: The Prince Estate / Allen Beaulieu


・・・あなたが専属エンジニアになる前は誰があなたの役目をしていたのでしょう? 

スーザン:地元のドン・バッツという人よ。彼はギター・テックで、今でもミネアポリスでギター・テックをやっているわ。彼は楽器のことは良く知っていたけど、スタジオの機材を扱う経験がなかったので、誰か他の人を、ということで私が雇われたの。 


・・・:プリンスはなぜリズム・マシーンをレコーディングに多用したのでしょう?そのサウンドがこの時期の彼のサウンドの特徴になっています。 

スーザン:2つ理由があるわ。まず第一に、リズム・マシーンを使うと簡単で速くレコーディングができたから。プリンスの音楽ではリズムがとても重要な要素になっているの。リズム・マシーンはその点完璧なのよ。プリンスはレコーディングに時間をかけるのを嫌がっていたから、素早くリズム・マシーンのプログラミングを終えてドラム・パートをレコーディングしていたわ。そしてアイデアがたくさん詰まった曲を素早くレコーディングしたの。第二に、生のドラムを使う場合、ドラム・セットを置く場所が必要になるわよね。ペイズリー・パーク・スタジオが出来る前は自宅のスタジオにドラムをセッティングしていたんだけど、レコーディングするときにはウェアハウスを使わなくてはならなかったの。ウェアハウスでレコーディングすると、そこには人がいて、人がいると誰かを待っていたり、準備が整うまで時間がかかったりして物事が素早く進まなくいでしょ?だから彼はリズム・マシーンを使う方を好んだの。 


・・・なるほど。ところで、プリンスはいつも楽器を手にしていたとおっしゃっていましたが、ソングライティングやレコーディングにおいて、彼はギターとピアノどちらを用いることが多かったですか? 

スーザン:両方よ。彼は自分で何でも出来たの。他のアーティストでそういう人ってあまりいないわよね。彼はギターもピアノも同じくらい上手だったけど、どちらかと言うと彼のメインの楽器はピアノだったんじゃないかしら。特にバラードとかラブ・ソングとかを書くときはね。「Computer Blue」のような美しい曲はピアノで書いていたわ。他の曲に関しても、まずピアノで書いて、スタジオに入ることが多かった。その時点でメロディとコード進行、歌詞は出来上がっていたわ。でも、彼はシンコペーションやファンクのグルーヴも好きで、そういうタイプの曲ではギターが必要になるというわけ。レコーディングではまずリズム・マシーンでドラムのパートを録ったあと、リズム・ギターを録音するんだけど、そのリズム・ギターが最高にカッコ良くてね。それからリード・ギターを録音するのよ。彼が素晴らしいリード・ギタリストだということはよく知られているわよね。「Purple Rain」ではその素晴らしいギターが聴けるわ。私の印象では、曲を書くときはピアノで書くことの方が多かったと思うわ。例外は「Kiss」。この曲はアコースティック・ギターでレコーディングされたものなの。 


・・・プリンスがピアノを弾きながら歌っているだけの未発表音源集があるそうですが、彼は新曲を作るという目的でなく、自分の楽しみのためにプレイし、それをあなたがレコーディングするということがあったのでしょうか? 

スーザン:しょっちゅうよ。自宅ではピアノにいつもマイクをセッティングしていて、地下のレコーディング機材がある部屋にケーブルが繋がれていたの。レコーディングの時に彼の家に行くと、よく一人でピアノを弾いていたわ。家にいるときでも、リハーサルの時も、常に彼はピアノにマイクをセットして、何かインスパイアされたときにはそれを録音していたわ。彼の家に行くとピアノの横に、たしかソニーの、紫のラジカセが置いてあったのを覚えているわ。彼はそれを使って自分でもカセットにいろいろレコーディングしていたのよ。そういうカセットがたくさん残っているはずよ。 


・・・ではそういう音源が将来リリースされる可能性はありますよね? 

スーザン:そうねえ・・・まずはそういう音源を聴いてみたいと思うわ。プリンスは音楽界に取ってとても重要なミュージシャンなので、彼が残したものは音楽の歴史上、とても価値があるものだと思うの。特にブラック・アメリカン・アーティストに取ってはね。貴重な文化遺産でもあるわ。音源と同時に重要なのは、その曲に関する説明だと思うの。例えば去年発売されたボックス・セットに収録されている「Cold Coffee and Cocaine」という曲があるんだけど、プリンスはコーヒーを飲まなかったし、ましてコケインなんて冗談じゃないって感じだった。彼は他人になりきってフェイク・ボイスで歌っているの。彼はたまにそういうことをやっていたわ。「Cloreen Bakon Skin」という曲では「Bob George」のように別の人の声、近所の人とか、昔知っていた人とか、もしかしたら父親の声の真似をして歌っている。ミュージシャンというのは単なる楽しみでふざけてやる曲と、公の場所で発表するものがあるの。それを決めるのは彼ら自身なのよ。プリンスの未発表音源をリリースする場合は、彼の当時の気持ちをきちんと説明することが重要だと思うわ。 


・・・最後に携わったアルバムは『Sign O' The Times』ですか? 

スーザン:年代順に言えば『Black Album』よ。このアルバムは『Sign O' The Times』の後にリリースされたけれど、私は『Black Album』のほとんどの曲でエンジニアを務めたの。でも私が携わった最後のオフィシャルなアルバムは『Sign O' The Times』よ。 


・・・自分が関わった一番のお気に入りのアルバムとその理由は? 

スーザン:どれも素晴らしいく、スリリングなアルバムだから選ぶのは難しいわ。ただ、個人的に一番思い出があるのは『Around The World In A Day』。あれはプリンスが最後にイノセントだったときのアルバムだから。ほとんどの曲は夏にレコーディングされ、私はウェアハウスで仕事をしていて、すごく楽しかった。このアルバムの中の「Condition Of The Heart」は特に好きな曲なの。楽しい思い出がたくさん詰まったアルバムよ。 


・・・日本の横浜のショウを最後にThe Revolutionが解散しました。それを聞いたとき、どんな風に感じましたか? 

スーザン:あれは悲しい時期だったわ。『Sign O' The Times』を作っている頃、彼はちょっと悲しそうで・・・私たちもみんな、悲しかった。The Revolutionが解散して、そのすぐ後にプリンスとスザンナも別れたの。彼はその悲しさを周りの人たちに悟られたくなかった。でも彼の雰囲気は前とは違っていた。口数が少なくなり、沈んだ様子だった。アルバムを聴けばその雰囲気が伝わってくると思うわ。アルバムのジャケットを見ればわかると思う。彼の顔は沈んでいてどこを見ているのかわからないし、色彩もちょっと暗いわよね。でも彼はそれを見せたくなくて、「Play In The Sunshine」のような曲を書いたの。 


・・・日本のプリンス・ファンにメッセージを。 

スーザン:音楽を忘れないこと、風化させないことは大事なことだと思うの。プリンスの音楽、彼が残した遺産を今も存続させてくれているファンの人たちに感謝しているわ。どうもありがとう。彼の残したものをファンが大事にしてくれているおかげよ。世界中のファンが彼の音楽を今でも愛してくれているのはとても嬉しい。できれば若い人たちも素晴らしいシンガーであり、プレイヤーであり、ソングライターであり、立派な人間だったプリンスのことを知ってほしいと思っているわ。彼は本当にグレイトな人だった! 


「メアリー・ドント・ウィープ」Music Video



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