📅今日は何の日?レッド・ツェッペリン USコンサート・デビュー55周年🎊

ツェッペリンのアメリカでの成功はヴァニラ・ファッジなくしては語れない!?


今日は、1968年にレッド・ツェッペリンがアメリカ、コロラド州のデンバーで、北アメリカで初めてのライヴを行った日です。ヴァニラ・ファッジのオープニング・アクトとしてパフォーマンスをしました。


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事の始まりは、ヴァニラ・ファッジのエージェントであるロン・テリーが、デンバーでコンサート・プロモーターをしていたバリー・フェイに、レッド・ツェッペリンをヴァニラ・ファッジのライヴのオープニング・アクトとして提案したことです。しかし、その時点で公演はすでにソールド・アウトしており、ショーの予算も残っていなかったため、フェイはテリーの提案を断ります。ところがヴァニラ・ファッジが、彼らのパフォーマンス料から、ツェッペリンへ支払われる金額の半額を出してもよいという打診があり、それを受けたフェイは、ツェッペリンの前座を受け入れたのでした。


当日まで、前座についての事前告知は全くなく、アメリカのオーディエンスはレッド・ツェッペリンが誰なのかも知らず、公演日を迎えました。ツェッペリンが紹介を受けステージに登場しても、客席からの拍手もまばらでした。当時の様子を、ヴァニラ・ファッジのメンバーであるカーマイン・アピスは次のように語っています。

「今となっては信じ難いが、ヤツらがアメリカに来たときは、まだケツの青いバンドだった。結成されたばかりで、ロバート・プラント、ジョン・ポール・ジョーンズ、ジョン・ボーナムを知ってるオーディエンスは誰もいなかった。アイツらにとっての初デートの相手は、ヴァニラ・ファッジとスピリットで、ヤツらのオープニングが決まったときは、すでに俺たちのショーはソールド・アウトしてた。ヤツらがステージに上がると観客が『ヴァニラ・ファッジを出せ』ってヤジを飛ばしたんだ。おかしかったよ。それでオレはロバート・プラントに、ステージ中をもっと大きく動き回れって言ったのを覚えてる」。


しかしツェッペリンのパフォーマンスに、地元メディアも圧倒され、絶賛のレビューを送ったのでした。

「ライヴは、アメリカでのコンサート・デビューを果たした、もう一方のヘヴィーなアクトによって大きな盛り上がりを見せた。ブルースの影響を色濃く反映し(しかしブルース・バンドではない)、痺れるほどにエレクトリックで、そこにはメインストリーム・ロックの全てが凝縮されていた。彼らのセットは、パワフルで、激しく、それでいて調和がとれ、独創的で、躍動感に溢れていた」。


それから半年後に再びヴァニラ・ファッジとレッド・ツェッペリンは一緒にツアーを廻りますが、その時すでにツェッペリンの演奏料はヴァニラ・ファッジと同じ金額となっており、アピスは次のように語っています。

「すごい勢いでヤツらは大きくなって、世界で一番ビッグなバンドに駆け上がった。オレたち(ヴァニラ・ファッジ)は、ヘンドリックス、クリーム、ザ・フーと錚々たる面子と一緒にプレイしたけど、誰もオレたちに敵わなかった。誰もついてくるこれないような激しいパフォーマンスで、ヴァニラ・ファッジと言えばアグレッシブなライヴで知られてたし、オレたちは他のバンドとは一線を画してた。そんなオレたちを誰がぎゃふんと言わせるのかって思ってたけど、それがレッド・ツェッペリンだった」。


ちなみに、ジョン・ボーナムがラドウィグから初めてドラムのエンドースメントを受けたのは、カーマイン・アピスがきっかけだそう。アピスの大きなドラム・セットに感銘を受けたボーナムがそれを大変気に入り、アピスがエンドースメントを取り付けたのでした。


今日はこの記念に、レッド・ツェッペリン、ヴァニラ・ファッジのアルバムを改めて聴いてみてはいかがでしょうか?


▼レッド・ツェッペリン『レッド・ツェッペリン』を再生する



▼ヴァニラ・ファッジ『キープ・ミー・ハンギング・オン』を再生する


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