【今日は何の日?】デュラン・デュランが全英シングル・チャートで初の1位獲得。(1983年4月2日)

1981年1月「プラネット・アース」(英12位)で衝撃のデビュー以降、デュラン・デュランは新時代の寵児として「ケアレス・メモリーズ」(英37位)、「グラビアの美少女(Careless Memories)」(英5位)、「マイ・オウン・ウェイ」(英14位)、「ハングリー・ライク・ザ・ウルフ」(英5位・米3位)、「セイヴ・ア・プレイヤー」(英2位)、「リオ」(英9位・米14位)と順調にシングル・ヒットを重ね、アメリカでもMTVのバックアップもあり念願のヒットが生まれた。

だがシングルのトップには縁遠かった。

そんななかメンバーでキーボード担当のニック・ローズがプロデュースした無名バンド、カジャ・グーグーがデビュー曲「君はTOO SHY (Too Shy)」でたやすく全英シングル・チャート1位をとると、バンドのハートに火がついた。

俺たちもシングルで1位をとる!

バンドはデビュー以来初めてアルバムとは無関係でシングルのみの、そして1位狙いの曲の制作にかかった。82年の暮れのことだった。


シングル「プリーズ・テル・ミー・ナウ(Is There Something I Should Know?)」は83年3月14日にリリースされ3月26日付英『ニュー・ミュージカル・エクスプレス』誌のシング・チャートに11位で初登場されると、翌週4月2日付には早くも同チャートのトップに駆け上がった。


アメリカでも4位までの上昇、同曲を追加収録したファースト・アルバム『Duran Duran』が急遽リイシューされ、プラチナ・アルバム(100万枚売り上げ)を記録。

シングル・ヒットの重要性を今更ながら思い知らされる。いきなりイントロなしで“Please, please tell me now!”のシャウトで始まるインパクト抜群のご機嫌なポップ・ソングは日本でも大ヒット、いまだに「プリーズ・テル・ミー・ナウ」という英語邦題の方が原題より知られている。






<デュラン・デュラン アーティスト・ページ>

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