宮治淳一のコンピ大好き Vol.5

 12月27日に発売を予定しているコンピレーションCD『DJ糸居五郎 黄金のレイディオ・ヒッツ ゴー・ゴー・ゴ!』には日本ならではの洋楽ヒット曲が多く収録されている。 


1960年代の日本にあって英米以外の国の音楽も等しく「洋楽」としてもてはやされていた。英語圏でない国のポップスが結構流行った。

有名どころではシルヴィー・ヴァルタン、フランス・ギャル、アダモのフランス、ミーナ、ミルバ、ボビー・ソロ、アドリアーノ・チェレンターノのイタリア、カテリーナ・ヴァレンテのドイツ、スプートニクスのスウェーデン、ベント・ファブリック、ヨルゲン・イングマンのデンマーク等々、結構な数の音楽家が日本でレコードを出していた。


今回収録したレーン・アンド・ザ・リー・キングスもそのひとつ。1964年ビートルズの記録的なブレイクは世界中に大きなインパクトを与え、その結果世界中のティーンエイジャーが明日のビートルズを夢見てグループを組み、ギターをかき鳴らし叫んだ。

彼らはスウェーデンのビート・グループだった。1965年にデビューし68年までの間に20枚近いシングル盤とアルバムもリリースしているので本国スウェーデンは相当人気があったのだろう。 


1966年、日本のテイチク・レコードはレーン・アンド・ザ・リー・キングスの「ストップ・ザ・・ミュージック」のシングル盤を発売した。

無名のバンドの作品ではあったけれども英語で歌われたコンボ演奏は流行りの「リバプール・サウンド」スタイルで、なにより哀願するような切ないポップバラードが日本人受けすると考えたのだろう。 


「女の子をダンスに誘って踊ったとき、彼女にキャンディを買ってダンス・フロアにもどると、知らない男と楽しそうに踊っている・・・音楽を止めてくれ!俺のハートが二つに裂かれる前に。音楽を止めてくれ!あの子が男と消える前に・・・」 


何やら身につまされる光景にこの曲への親近感が増す。

大きなヒットではなかったけれど当時小学生の私でもうっすらと覚えている。結構多くのグループ・サウンズがこの曲をカヴァーしていたからだろう。

同じテイチク・レコードの、湯原昌幸がヴォーカルのザ・スウィング・ウエストがシングル盤をリリースしていた。 

「ストップ・ザ・ミュージック」を63年最初に歌ったのはイギリスの男性アイドル歌手ディック・ジョーダンだった。東芝音楽工業はシングル盤を出し、同じ東芝の女性カントリー系歌手、齋藤チヤ子にも日本語で歌わせたが2枚とも売れなかった。

それでもレーン・アンド・ザ・リー・キングスがこの曲をカヴァーし日本で少しヒットさせると、ジャケット変更までしてジョーダン盤を2度も再発した。

当時のレコード会社の洋楽担当者は偉かった。アメリカでヒットしてようが無かろうが、日本人向けと信じたなら果敢にレコードをリリースした。

そのおかげで原産国ですら知られていない曲が日本で親しまれたケースは多々ある。

以下次号。 


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