R.I.P アレサ・フランクリン(1942.3.25-2018.8.16)【F's GARDEN -Handle With Care- Vol.11】

音楽業界ブログリレー「F's GARDEN -Handle With Care-」 

「やまやま」さんから2週目のバトンを受け継いだ「SOULBROTHER NO.2」です。 

今回は山下達郎氏の選曲・監修したドゥ―・ワップのコンピを紹介しようと思ってましたが、ご存知の通り、アレサ・フランクリン(1942.3.25-2018.8.16)の訃報を受け、“クィーン・オブ・ソウル”を追悼することにしました。 


<F's GARDEN -Handle With Care- 第十一回:SOULBROTHER NO.2>


『遂に・・・女王の訃報』


ホスピス・ケア(※余命の短い患者に提供される医療)」を受けていると報じられていたが、去る8 月16日、膵臓がんのため自宅のあるデトロイトで息を引きとった(享年76才)。

なんと、“クイーン・オブ・ソウル”の命日が“キング・オブ・ロックンロール”エルヴィス・プレスリーと同日になろうとは・・・。 


50年以上に及ぶそのキャリアの中で18個のグラミー賞を受賞し、7500万枚上のセールスを記録した功績を讃え、今年11月にマディソン・スクウェア・ガーデンでアレサ・フランクリンのトリビュート・コンサート(スティーヴィー・ワンダー、ビヨンセ他)が予定されていただけに残念でならない。


ニュースはもちろんSNS等でも、オバマ前大統領、ポール・マッカートニー、ローリングストーンズはじめ数多くのコメントが寄せられているのは皆さんもご存知の通り。


ローリングストーン誌が選ぶ「歴史上最も偉大なシンガー100人」の第1位であり、女性として初めてロックの殿堂入りも果たし、50年以上に渡ってポップス界を牽引し続けた。


『アレサ・フランクリンとの出会い:あの映画とUK音楽』


残念ながら、飛行機嫌いのためついぞ来日公演が実現することはなかった。

飛行機嫌いの理由に、一説にはオーティスの飛行機事故(67.12.10)に起因しているとの情報もあり。


ジェイムス・ブラウン、レイ・チャールズ、スティーヴィ―・ワンダー等数々のトップ・アーティストのライブを体感して来たが、アレサを観るという長年の夢は叶わなかった・・・。


自分自身にとってのアレサとの出会いは、高1の時にテレビ放映(バブルガム・ブラザーズの吹き替え)で観た映画“ブルース・ブラザース”でのこのシーン。



迫力満点の歌声とパフォーマンスに圧倒されたのを鮮明に覚えている。 

後で知る事となったのだが、ダンナ役のこの方がまさか黄金期のシカゴ・ブルース・シーンで活躍した伝説のギタリスト、マット・“ギター”・マーフィーだったとは・・・。 

この映画について書きはじめるとキリが無いので、またあらためて別の機会に取り上げたいと思います。もちろん伝説の番組”サタデー・ナイト・ライブ“ネタも(笑)



映画“ブルース・ブラザーズ”


その後、ローリング・ストーンズにハマっていく中で、彼等のルーツであるブルースやR&B・ソウル、レゲエ等ブラックミュージックを聴き漁っていくうちに、あらためてアレサの黄金期である60~70年代のアトランティック時代の音源を聴き、完全に魅了されることとなる。


80年代半ば当時の音楽シーンはMTV時代に移行し、ビジュアルが重視されサウンドは打ち込み中心となり、ベテラン・アーティスト達にとっては厳しい時代。

そんな時代にもかかわらずアレサ再評価のキッカケを作ってくれたのUKのアーティスト達だった。 中でも重要だったのが、この2曲。 


EURYTHMICS AND ARETHA FRANKLIN「SISTERS ARE DOIN' IT FOR THEMSELVES」


エレクトロ・ポップ路線から、ブラック・ミュージック等ルーツ音楽志向を打ち出したアルバム“BE YOURSELF TONIGHT”(’85)に収録された”SISTERS ARE DOIN’ IT FOR THEMSELVES“にアレサがフィーチャーされており、アニー・レノックスとエモーショナルな歌声の共演がインパクト大だった。※アレサ自身のアルバム”WHO’S ZOOMIN’ WHO?(1985)にも収録されている。


そしてもう1曲は、当時の最先端のサウンドと評されたこのグループの楽曲から、アレサ・フランクリンに捧ぐ“というサブタイトルがついており、あらためてアレサの偉大さを認識するキッカケとなった。


SCRITTI POLITTI「WOOD BEEZ (PRAY LIKE ARETHA FRANKLIN)」



『生い立ち:ゴスペルファミリー』


1942.3.25 メンフィスにて、父(教会の説教師)C.L.フランクリンとゴスペルを歌っていた母バーバラとの間に生まれる。その後、フランクリン家は、N.Yを経てデトロイトへ移り、教会を構えて拠点となる。幼少時代よりゴスペル・シンガーとして活動しており、14歳の時に初めてゴスペルのアルバムをレコーディングしている。この頃のアレサに影響を与えたのは、全身全霊で魂のこもった歌声が魅力のクララ・ウォード・シンガーズのメイン・ヴォーカリストのクララ・ウォード。


そして、一方でゴスペルシ-ンから転身し、ポップス界でも大活躍していたサム・クックとの交流もあったこともあり、憧れの気持ちを持ちつつ目標でもあったようだ。



『ポピュラー歌手へ転身 デビュー:コロンビア時代』


60年、ビリー・ホリディ等を見出したジョン・ハモンドの目に止まり、名門コロンビア・レコードと契約。 当時のアレサ音源を聴くと、ピアノを弾きながらダイナ・ワシントンの様なブルージーなジャズを歌うスタイルだった。それから約6年の間に『Won’t Be Long』などR&Bのトップ10シングルを何枚かリリースした。しかし、残念ながらセールス的には大きな成功を収めることは出来なかった。 



『教会ヘ戻り、女王誕生ヘ:アトランティックヘの移籍』


ゴスペル時代から気にかけていたアトランティックのジェリー・ウェクスラーは66年、アレサとの契約を果たす。 

そして、アレサを教会ヘ連れ戻したのだった。 

パーシー・スレッジやウィルソン・ピケット等のヒット曲を支えた、アメリカ南部のマッスル・ショールズにある“フェイム”スタジオで録音をする。しかし、フェイム・スタジオのリック・ホールとアレサの夫(当時)でマネージャーのテッド・ホワイトが喧嘩をはじめ、アルバム1枚を完成させる予定だったのだが・・・。そんな状況下で録音され第1弾シングルとしてリリースされたのが“貴方だけを愛して”(I'VE NEVER LOVED A MAN).。アレサの真骨頂であるエモーショナルで迫力のある歌声が印象的な楽曲。 


ダン・ペンによるカップリングの“DO RIGHT WOMAN, DO RIGHT MAN”も最高の出来でアトランティック移籍第1弾は大成功を飾り、幸先の良いスタートを切った。

「貴方だけを愛して+3」 ¥952+税/WPCR-27601


続く第2弾は、“キング・オブ・ソウル”ことオーティス・レディングのカバー“RESPECT”.。 当時盛り上がっていた公民権運動やフェミニスト運動のアンセムとなった。 


その後“CHAINS OF FOOLS”


“THINK”、“I SAY A LITTLE PRAYER”


などヒット曲を連発していく。

後に、代表曲となる“(You Make Me Feel Like) A Natural Woman”は、キャロル・キング&ジェリー・ゴフィンによる素晴らしい楽曲であり、アレサにとっても、最高傑作の一つと言える。


そして、もう一つの逸話が・・・何とビートルズの“レット・イット・ビー” はアレサのために書いた曲だそう。 ジェリー・ウェクスラーがデモを聞かせると、アレサ自身は、歌詞の宗教観が信仰するバプティストにそぐわないかもと不安になり録音を先延ばしていたとか、それでしびれを切らし自分達(ビートルズ)も録音したのだとか・・・実際のリリースはアレサが2ヶ月程早い。 



『女王の真骨頂を体現した2つのライブアルバム』


着実にステップ・アップしていく中で、全盛期に収録されたアレサの真骨頂であるライブを収めた2つのライブ作品を紹介したい。

「アレサ・ライヴ・アット・フィルモア・ウェスト」¥952+税/WPCR-27652


“モンタレーポップ”でのオーティス・レディングや、“ウッド・ストック”でのスライ&ザ・ファミリー・ストーンの時のような白人層へインパクトを残すようなパフォーマンスをアレサは残すべくロックの殿堂として知られる“フィルモア・ウエスト”でのライブ・パフォーマンスを行った模様を収録したライブ盤。キング・カーティス率いるキングピンズ(コーネル・デュプリー、バーナード・パーディーds, ビリー・プレストン等豪華な布陣+メンフィス・ホ―ンズ)によるファンキーかつグルーヴィーな演奏をバックに、“熱く・黒い”世界ヘ導いてくれる。“DR.FEELGOOD”での絶唱も聴き所だが、なんと⑨“SPIRIT IN THE DARK”ではレイ・チャールズが飛び入りし素晴らしいパフォーマンスを聴かせてくれる。

かつて輸入盤で(しかも限定)コンプリート版のCDも出ていましたね。 



KING CURTIS「LIVE AT FILMORE WEST」

※同日収録されたキング・カーティスのライブ作品も最高です! 

特に”MEMPHIS SOUL STEW“は必聴!!


「AMAZING GRACE;至上の愛~チャーチ・コンサート~」

※残念ながら現在は廃盤となっております。


偉大なる説教師C.L.フランクリンを父に持つアレサが、自らの原点立ち返るべく、ニュー・テンプル・ミッショナリー・バプティスト教会でのライブの模様を収めた作品。 

圧倒的な歌声を聴かせるアレサをバックで支えているのは、ゴスペル界の大御所ジェイムス・クリーヴランド。特にタイトル曲の定番曲“アメイジング・グレイス”、シングルカットされた“WHOLY HOLY”等聴衆との一体感、高揚感をヒシヒシと感じさせてくれる作品! 

ゴスペル作品としては異例の大ヒットを記録‼(200万枚) 



『ニュー・ソウル時代への突入~充実の70年代ヘ~』


「ヤング、ギフティッド・アンド・ブラック」¥952+税/WPCR-27653

ニーナ・シモンの代表曲をタイトルにしてメッセージ色の強い作品。 ニュー・ソウル・シーンの代表的アーティスト、ダニー・ハサウェイも参加している他、ビリー・プレストンkbd、コーネル・デュプリーg、チャック・レイニーb、バーナード・パーディーds等最強のメンバー集結。

アレサ流ニュー・ソウルは、予想以上に素晴らしい作品に仕上がった。



「輝く愛の世界」¥952+税/WPCR-27654

時代の波はニュー・ソウルから都会的な洗練されたサウンドヘ移行。

女王アレサも、しっかり時代に適合した素晴らしい作品を届けてくれた。シングル・ヒットしたスティーヴィ―・ワンダー作“UNTIL YOU COME BACK TO ME”が最高!



「SPARKLE」

あのカーティス・メイフィールドが、全面プロデュースした作品(同名映画のサントラ盤)。

正直このアルバム、過少評価値されているかも・・・全曲、カーティスらしい優しくも美しい楽曲に占められて、タイトル曲“SPARKLE”や”GIVING HIM SOMETHING HE CAN FEEL“等個人的にあらためておススメしたい作品。 



『ディスコの台頭~アリスタ時代ヘ』


70年代後半からのディスコ・ブーム時は、ヒットに恵まれなかった。その後クライブ・デイヴィスが“ARISTA”レーベルを立ち上げるのを契機に長年慣れ親しんだATLANTICを離れ移籍する。 

そしてポップ・フィールドへのクロス・オーバー志向を強めていく。 

ルーサー・ヴァンドロスが手掛けた”JUMP TO IT”(’82)は、久々にセールス的にも成功をおさめた。

その後もナラダ・マイケル・ウォルデン等をプロデューサーに迎えポップ志向の強い作品を届けてくれたが、往年のような成功をおさめるには至らなかった。

ローリング・ストーンズのキース・リチャーズが、映画のタイトルソングとなった代表曲“JUMPIN’ JACK FLASH”のプロデュースを手掛けた事も話題を呼んだ。


90年代には、ほとんどリリースの無い状態が続いたが ’98ローリン・ヒルがプロデュースした作品“A ROSE IS STILL A ROSE”が久々にアレサらしい女性としての力強さを表現した素晴らしい作品だった。

「A ROSE IS STILL A ROSE」


最後に2015年12月にアメリカで行われたケネディ・センター名誉賞の受賞式(キャロル・キングルが受賞)でのパフォーマンスをを覧下さい。

感動し涙するオバマ前大統領の姿にも注目。


これまでのアレサの功績を残すべく、映画“ドリーム・ガールズ”で主演したジェニファー・ハドソンをがアレサ役を演じ、伝記映画が製作されるとの情報も入って来てますね。


個人を偲ぶ最高の供養とは、その人物の功績をしっかりと再認識し、称え、後世に伝えることなんだと切に思うのでした・・・R.I.P アレサ・フランクリン!



SOULBROTHER NO.2 

某チェーンの音楽屋店長。無類のブラック・ミュージック好き。 

音楽の伝導師を目指して、日々、修業中。 

また、フットボール(サッカー)をこよなく愛する・・・ワールド・カップ・ロスから、ようやく立ち直りました(笑) 







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