追悼ドクター・ジョン&アート・ネヴィル【F's GARDEN -Handle With Care- Vol.35】by Soulbrother No.2
今回取り上げるのは、ニューオリンズ音楽の最重要人物である6月6日に77才で亡くなった“ドクター・ジョン(本命 マック・レベナック)”と、追いかけるように7月22日に81才で亡くなった“アート・ネヴィル”(ミーターズ~ネヴィル・ブラザーズ )の作品を追悼の意味を込めて、紹介したいと思います。
※6月23日には、ファッツ・ドミノとの作品で知られた“デイヴ・バーソロミュー”の悲報も・・・。
〈ニューオリンズ音楽との出会い〉
ニューオリンズの音楽との出会いは、やはりドクター・ジョンだった。
1984年11月 あの青山にあった伝説のレコ屋“パイドパイパー・ハウス”が企画・制作・主催した初来日公演時に、ピーター・バラカン氏の音楽TV番組「ポッパーズMTV」に登場したのでした♬
いままで聴いたこともない、独特のシンコペイトする“転がるようなピアノ”の魅力に、一発で魅了され、またしても翌日、行きつけのレコ屋に駆け込み、代表作である名盤“ガンボ”を手に入れたのでした!
〈ガンボはニューオリンズ音楽の教科書〉
■DR.JOHN/GUMBO('72)
この作品の最大の魅力は、オリジナル曲④と、レイ・チャールズのカバー⑤以外は、すべてニューオリンズで歌い継がれて来た楽曲で、ドクター・ジョンがオリジナルの良さを活かしながら当時のサウンドにアップデートして聴かせてくれたからこそ、ニューオリンズ音楽への入口いや、“教科書的作品”として評価が高いのだと思う。
“ガンボ”のオリジナル曲を集めてみましたので、聴き比べて楽しんでみてください♬
〈DR.JOHN’S GUMBO CLASSICS 〉
他にも代表的な作品を紹介しておきます。
■“IN THE RIGHT PLACE”('73)
“ガンボ”に続いて発表した作品。
アラン・トゥーサンがプロデュースを手がけ、ミーターズがバッキングを務めている。タイトル曲でありヒットした「ライト・プレイス・ロング・タイム」や、『ラスト・ワルツ』で知られる「サッチ・ア・ナイト」等名曲揃いの傑作。
■“DESITIVELY BONNAROO”('74)
続いて、74年にリリースされた『デスティヴリー・ボナルー』もアラン・トゥーサン+ミーターズと初同様のプロジェクトによる作品。こちらもおススメ♬
■PLAYS MAC REBENACK(‘81)
個人的な愛聴盤はこのアルバム。ドクター・ジョンのソロ・ピアノを堪能できる作品。
〈衝撃的だったドクター・ジョンとネヴィル・ブラザーズ 来日公演〉
87年7月なんとドクター・ジョンとネヴィル・ブラザーズ のジョイント・ライブに生体験出来る機会に恵まれたのでした。
場所は、大震災の影響で、現在は使えなくなってしまった九段会館。
オープニングは、なんとドクター・ジョン!️
あの映画「ラスト・ワルツ」でも披露した“Such A Night”はじめお馴染みの楽曲ばかりの素晴らしいパフォーマンスで、満員の会場を盛り上げたくれたのでした♬
続くネヴィル・ブラザーズ は、もちろん待望の初来日️!
※開演前に立ち寄った“モスバーガー”にメンバーがいて、ビックリしたことを鮮明に覚えている(笑)
1曲目の“Hey Pocky Way”(記憶が怪しいですが…)から観客が総立ちになり、前方へ押し寄せる凄ましい盛り上がりに…その盛り上がりに、応戦するかのように熱を帯びるネヴィル兄弟の圧倒的な演奏に、完全にノックアウトされたのは言うまでもない!
その後、89年の青山CAY、91年ドクター・ジョンと再び共演(しかも会場は日比谷野音)と毎回、期待値を軽く上回る圧巻のパフォーマンスを見せつけてくれたのでした️!
そんなネヴィルズの代表的な作品を紹介しておきます。
■“FIYO ON THE BAYOU”('81)
かのキース・リチャーズが当時、年間ベストアルバムに上げていた作品。ニューオリンズ特有のウネりのあるファンキーなサウンド、レゲエやアフリカの影響を色濃く反映されたスピリチュアルな楽曲等クォリティの高い作品に仕上がっている。“Hey Pocky Way”や“Fire On The Bayou”等代表曲を収録。
■“YELLOW MOON”('89)
プロデューサーは、U2やピーター・ガブリエルを手掛けたダニエル・ラノア。
さらにサム・クックの名曲のカバー「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」では、ブライアン・イーノがエンジニアとして参加する等、当時の最先端のサウンドを大胆に取り入れながらも、公民権運動の発端となったバス・ボイコット運動を始めたローザ・パークスに捧げられた「シスター・ローザ」といった楽曲もあり充実した内容で最高傑作との呼び声が高い。
〈アート・ネヴィルこそ ミーターズ 〜ネヴィル・ブラザーズ 〉
そのネヴィル・ブラザーズの長兄であり、あのニューオリンズ・ファンクの祖と言われる“ミーターズ ”のリーダーとして活躍したのがアート・ネヴィル。
ミーターズは1969年に、アート・ネヴィル(Key)、ジョージ・ポーター・JR(B)、レオ・ノセンテリ(G)、ジョー・“ジガブー”・モデリステ(Dr)による4人組で、当時、人気のあったブッカーT.&The Mg’sのようなインストバンドで、よりニューオリンズらしいファンキーな作品を連発し、すぐにヒット曲を連発する♬
■“Sophisticated Cissy”
■“Cissy Strut”
この時期のミーターズは、ジョージ・ポーター・JRとジョー・モデリステのリズムセクションによる、腰に絡みつくような独特な“セカンド・ライン”ファンクに、レオ・ノセンテリのファンキーなギターやアートのオルガンが織りなす、ゾクゾクする程カッコ良い独特のファンキーなサウンドは病みつきになりますね♬
結局、71年までの3年間で、3枚のアルバムと10枚のシングルを“ジョシー”レーベルからリリースし、72年“リプリーズ”と契約を結ぶ。
アートのヴォーカルの比重を強めて再出発を図る。ここからの3部作がミーターズ にとって最盛期だったと言えるでしょう。
■CABBAGE ALLEY('72)
アートのヴォーカル・ナンバーがメインとなっただけでなく、ピアノやパーカッション、コーラスなどを加えながら、洗練されたサウンドにシフトした作風が印象的。この頃、ドクター・ジョンの名盤『In The Right Place』(1973年)で全面バックアップしたこともあり、さらに注目を集めた。最高傑作との呼び声の高い作品。
■REJUVENATION ('74)
ホーンを大胆に導入し、「Hey Pocky A-Way」や「People Say」といった代表曲を収録した傑作で、ロック界からも注目を集めることに。個人的にも一番好きなら作品。
そしてなんと、あのポール・マッカートニーはアルバム「ヴィーナス・アンド・マース」のリリース・パーティでの演奏を依頼する。
そして、そのイベントに出席していたミック・ジャガーの依頼で、ローリング・ストーンズの1975年の全米ツアー、1976年のヨーロッパツアーの前座に抜擢されたことは有名な逸話。ストーンズのこの頃のサウンドにも影響を与えたとさえ言われている。
■FIRE ON THE BAYOU('75)
末弟シリルが正式参加。その後のネヴィル・ブラザーズの原型とめ言えるアグレッシヴなファンク・ビートを叩き出すタイトル曲「Fire On The Bayou」を筆頭に、強力なナンバーが揃った作品。
結局、翌76年、ミーターズは解散する。
■番外編
Wild Tchoupitoulas / Wild Tchoupitoulas('76)
“ワイルド・チュピトウラス”とは、20程ある“ブラック・インディアン”のトライブのひとつ。そのワイルド・チュピトウラスを迎え、ミーターズが全面参加、そしてアラン・トゥーサンがプロデュース。レゲエのリリースに力を入れていた“アイランド”からのリリースされた佳作。
〈やっぱりラスト・ワルツ〉
そして、最後になんと言ってもザ・バンドの解散コンサート「ラスト・ワルツ」に登場した際の、あまりに有名なこのシーンを紹介しない訳にはいきませんよね?
■“SACH A NIGHT”(from 映画「ラスト・ワルツ」)
お洒落な出で立ちに、あのダミ声で「ツー・スリー・フォー」ってカウントから始まる、なんとも“粋な”パフォーマンスが、至福の時間に感じられる映画の中でも印象的なシーンは何度観てもワクワクしますね。
この映像の余韻に浸りつつ、ニュー・オリンズの音楽にドップリと浸りたいと思います♬
SOULBROTHER NO.2
某チェーンの音楽屋店長。無類のブラック・ミュージック好き。
音楽の伝導師を目指して精進を重ねる日々。
いよいよ、ヨーロッパのフットボールも開幕し、日本代表の試合にも注目ですね ️
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